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太平洋戦争のエースパイロット・杉田庄一 「撃墜王」の生涯知る 生誕100年で記念事業 上越市

記念式典で式辞を述べる杉田会長
杉田庄一に関する資料や戦闘機の模型に見入る来場者

 現在の浦川原区出身で、太平洋戦争中に旧日本海軍航空隊のエースパイロットとして活躍した杉田庄一(1924~45年)の生誕100年を記念する事業が6月30日、上越市土橋の市民プラザで開かれた。

 杉田の遺族や関係者でつくる「杉田庄一の実績を伝承する会」が主催。式典や講演、足跡を振り返る展示会が行われ、120人を超える来場者が「撃墜王」の異名を取った若者の人生に思いをはせた。

 杉田は15歳で海軍に入隊。予科練を経て航空搭乗員になる。山本五十六連合艦隊司令長官機の護衛や南太平洋の転戦、戦争末期には第343海軍航空隊で活躍。公式撃墜数は110機を記録し「空戦の神様」と呼ばれた。昭和20年4月、鹿児島県の鹿屋基地を離陸直後に米軍機の攻撃を受け戦死した。20歳だった。

 杉田のおいに当たる同会の杉田欣一会長は式辞で「国を愛し、部下を愛し、命をつなぐすべを第一とした庄一の人間性が、私たちがいま生きているところにつながっている。戦争と平和、そして命の尊さについて考える機会になれば」と願った。

 続いて、同会顧問で元上越教育大教授の石野正彦さんが「杉田庄一の太平洋戦争」と題して講演。体当たりで敵の爆撃機を初撃墜した際は喜ぶより自身の搭乗機を壊したことに謝ったこと、部下に慕われた人柄、兄と慕った上官との師弟関係など、杉田の人間性が伝わるエピソードを紹介した。

 入隊当初はあどけなかった顔つきが、出撃を繰り返すにつれ次第に迫力を増していく様子なども写真を基に解説。戦争の犠牲になった、一人の若者の生涯を熱く語った。

 同館内のギャラリーでは杉田庄一に関する資料や写真、モデルになった作品のほか、日本海軍や米軍の戦闘機模型が展示された。

杉田庄一に関する資料や戦闘機の模型に見入る来場者