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郷里の声援が後押し 貪欲に遠くへ追い求め 感謝を胸に第二の人生へ 

引退会見後、妻・詩歩さんと長女・希帆ちゃんから花束を贈られ、笑みをたたえる清水選手
会見で新潟県民や妙高市民の温かい言葉を思い出し、涙ぐむ

 スキージャンプの2014年ソチ五輪団体銅メダリストで今季限りでの現役引退を発表した妙高市出身の清水礼留飛選手(30、雪印メグミルクスキー部)が16日、札幌市の大倉山ジャンプ競技場での最後の試合に臨み、その前にチームの部長、監督らの同席で引退会見を行った。7歳からジャンプを始め、妙高高原中、新井高では全国大会を連覇。2012年に同社に入り、12年間、世界や国内の第一線で活躍してきた。競技人生や郷里への思いなどを語った会見のやりとりをまとめた。(大会の模様は20日付で掲載予定)

清水礼留飛選手、引退会見

(冒頭のあいさつ)

 今シーズンをもちまして現役生活にピリオドを打つことになりました。今日までスキージャンプを続けてこられてものすごく幸せ。出会った全ての方々に感謝します。

 入部してから12年間、貪欲に飛距離を追い求めて試行錯誤した日々は幸せな時間。12年もの間、スキージャンプを続けさせていただいた会社の皆さまにも感謝しています。振り返ると成績が良い時も悪い時もあったが、良い時の思い出よりも苦しんだ時の思い出の方がすごく印象深く残っています。

 その中で得るものはたくさんあったし、ジャンプを通して経験したことを今後の人生に生かしていきたい。4月からは営業マンとしてスキー部とは違った形で会社にしっかりと貢献して、必要とされる人材になれるよう頑張ります。長い間応援していただき、ありがとうございました。

 ―現役生活で最も印象に残っている大会は。

 最も印象に残っているのはもちろん、オリンピックでメダルを獲得したその瞬間、小さい頃からの夢がかなった。充実感だったり、競技人生で一番インパクトが強かった。思い出に残っている試合はソチオリンピック前に雪印杯で優勝できて、海外のワールドカップに戻っていけたこと。

 ―新潟県妙高市出身で、北海道に来て雪印メグミルクスキー部で競技をしようという思いは。

 ジャンプが強くなるために、結果を残すためにどこで活動するのがベストかを考えた時に、雪印メグミルクスキー部にお世話になってそこで強くしてもらうのが一番いい選択だと思った。オリンピックの金メダリストの方々に教えてもらえる、どんなことを教えてくれるんだろうというわくわく感があった。新潟で培ったものが札幌に来てからも僕のベースとなってジャンプを飛ぶことができた。

 ―今後、後輩の指導は考えていますか。

 スキー部から離れて会社の業務に専念する。スキー部を離れて違う部署になる。指導はしばらくはないのかなと思う。もちろん、スキージャンプが大好き。スキー部の活動は気にかけて見る。

 ―引退を正式に決断したきっかけは。引退を決めた時に誰に報告しましたか。

 昨年春の段階から今年一年がラストという気持ちでスタートした。今年2月の札幌でのワールドカップを生で見て、このレベルでは僕は厳しいのかなと心の底から思った。一番最初に伝えたのは妻(詩歩さん)。会社にこれだけお世話になって長い間、飛ばさせてもらって幸せだったねと。

 ―苦しかった、つらかったことは。

 ソチオリンピックでメダルを取った後、世界で戦うために自分のスタイルを大きく変えた時にしっくりこなくて、いつもの自分に戻そうと思った時にもう戻れなくなっていて、一からジャンプをつくっていかなきゃいけない状況になったのが一番苦しかった。そこから長い間、世界の舞台に立てなかった。国内でも全然いいジャンプができない、飛距離を伸ばせない、その時間が苦しかった。

 ―競技生活の悔いは。

 全くないかと言われたらそんなことはないが、ジャンプをやっていたからこそいろいろな経験をさせていただいた。振り返ったら幸せな競技人生。悔いはほとんどないかなと思う。

 ―今後、国民スポーツ大会など一般の大会で飛ぶ機会は。

 現時点では第一線で飛ぶのはここで終わりというのは明確にあるが、ジャンプは趣味でも飛ぼうと思えば飛べる。試合に出てみたいという時がきたら、今きっぱり辞めるのではなく、目指してみたいなという思いは持っている。期待して僕の帰りを待っていただければ。何回でも復活するので。

 ―新潟県民や妙高市民への思いは。

 新潟県、妙高市の方には苦しかった時期に背中を押していただいた。調子が上がらない時にまだいける、また強い礼留飛選手を応援していますと言われ…(涙)。頑張れたかなと思います。

 ―今後の目標は。

 営業マンとして4月から第二の人生みたいな形でスタートするので、その世界がどうなのか今の現状では分からないが、まずは仕事に慣れて、そこでも礼留飛がいて良かったと言ってもらえるような活躍をすることが夢ではないが、目標ですかね。

 ―スキージャンプを始めるきっかけとなった父・久之さん、兄・亜久里選手ら郷里の家族への思いは。

 父親がいなければスキージャンプは始めていなかったし、すごく感謝している。4月からはジャンプという形で親孝行ができなくなるので、違う形で何か親孝行できればいいかなと。僕も数年前に父親になって、親ってこういう気持ちなんだとひしひしと感じる日々。孫の成長も見てもらえたら幸せなんじゃないかな。

 兄は競技を続けているし、より良い結果を求めて自分なりに試行錯誤してやっていくと思うので、温かく見守っていきたい。最後気持ち良くすっきり終わったんだなという姿を両親に見てもらえたらと思う。

会見で新潟県民や妙高市民の温かい言葉を思い出し、涙ぐむ