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「空戦の神様」杉田庄一の生涯 愛国心や部下への思い 出身地・浦川原区で講演会

杉田庄一の生涯について講演した石野さん。活躍や人柄を示すエピソードや、自身の父との関わりも語った

 浦川原区小蒲生田出身で、太平洋戦争中に旧日本海軍航空隊でエースパイロットとして活躍した杉田庄一(1924~1945年)の生涯についての講演会が18日、地元の浦川原地区公民館で開かれた。杉田の遺族や関係者でつくる杉田庄一の実績を伝承する会主催。

 杉田は15歳で旧日本海軍に入り、ミッドウェー海戦から沖縄戦まで第一線で活躍。大型爆撃機を含め公式記録で110機を撃墜したが、昭和20年4月、鹿児島県鹿屋基地で出撃直前に攻撃を受け、20歳で戦死した。部下に手を上げず、怖い先輩にも食ってかかるなどのエピソードも伝わっている。

 講師を務めた、元上越教育大教授で同会顧問の石野正彦さんは、当時の国際情勢や日本の世論、戦争の流れを交えながら杉田の生涯を解説。父親も浦川原区出身で、杉田から2年遅れで海軍航空兵となり、昭和20年には鹿屋基地で魚雷の整備に当たっていたことにも触れ、「杉田とすれ違っていたかもしれない」と思いをはせた。

 ラバウルでは故郷の大雪を引き合いに「地元での生活の方が大変だった」と語ったり、敵の爆撃機を撃墜した喜びより搭乗機を壊して怒られるのではとしょげたりと、杉田の人間性にも触れた。

 杉田の兄の子で、「伝承する会」の杉田欣一会長は「庄一おじさんは愛国心とか部下を愛する心、言葉だけでなく実戦で命を守ることを第一としていた。現代に通じることもあると思うので、自分も学んでいきたい」と話した。