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迫る津波「覚悟した」 一夜明け 爪痕まざまざ 上越市直江津 

夷稲荷神社に避難した人たちは不安そうに津波警報が出ている海を眺めた(1日午後5時2分)
地震から一夜明けて住民が流れ込んだ泥やごみなどをかき出していた港町1。津波は右の塀の高さに迫るほどだったという(2日午前9時20分ごろ)

 1日に発生した能登半島を震源とする地震は、上越市の沿岸部に津波被害を及ぼした。気象庁によると、同日午後4時36分、柏崎市鯨波で0・4メートルの津波を観測したが、それを超える高さの波が押し寄せたとみられる。

 上越を含む県内の沿岸全域には1日午後4時10分、津波警報が発令。予想される波の高さは3メートルとされ、直ちに海岸から離れて高台に避難するよう、自治体が防災行政無線や防災メールで繰り返し呼びかけた。2日午前1時15分には津波注意報に切り替わり、同10時3分に解除された。

 海に近い上越市直江津地区では住民が高台にある夷稲荷神社(同市中央4)と大神宮(同市中央2)に避難。灯籠が倒れる被害があった大神宮は初詣客用のスピーカーからNHKの放送を流し、隣接する横町町内会館のトイレを開放した。避難した住民は「寒くないので、まだまし」と話した。

 直江津小(同市住吉町)では人々が3階でテレビの情報を見たり、毛布にくるまって横になったりしていた。

 一夜明けた2日、上越市直江津地区では津波の痕跡があちらこちらで見られた。なおえつ海水浴場では海の家や小屋などが流され、海岸から道路まで建物の残骸や家具、電化製品などが散乱。船見公園では駐車場まで泥や流木、ごみなどが大量に漂着した。

 港町1では朝から、住民が自宅前などに流れ込んだ砂や泥、ごみなどをスコップでかき出す作業に追われていた。実家に帰省中だった50代男性によると、1日午後4時30分ごろ、関川をさかのぼった津波が防潮堤を乗り越えて町内に流入。車やごみ集積場が流されかけ、コンクリート製の堤の一部が流されたという。「亡くなった祖母がこの地域にも津波が来たと言っていた。100年くらい前だと思うので、ほとんどの人にとって初めて(の経験)ではないか」と驚いていた。

 また、同所の夫婦(72)宅は建物の基礎部分まで水が来たという。「寝たきりの母がいるので避難できない。いざという時の覚悟をしたが、じきに水が引いてくれた。ライフラインが無事なのが心強かった」と話した。

 川沿いにある同所のスナックジャンボは水が店内に流れ込み、流された車が建物にぶつかったという。オーナーの安田みさ子さんの息子の敏さんは「うちが一番被害が大きかったのではないか」と話した。同日は親戚や知人、常連客が手伝いに訪れ、水に漬かった畳や家具などを店内から運び出していた。

◇漁港にも津波 漁船など被害

 また、上越市漁業協同組合の仲田紀夫組合長(78)は同組合の事務所がある直江津港内の漁港で津波の到来と引く様子を、高い位置にある港湾道路から動画で撮影した。「1メートルほどの高さで上下し、第4波、第5波ぐらいまであった。釣り人を乗せた大型遊漁船はお客さんを降ろした後、引き波で危なかったので沖で一晩待避した」とし、「次の日(2日)に漁港に行ったら、液状化現象で水浸しになっていた」と話した。

 大潟漁港などでも小型漁船が横倒しになり、網や籠が散乱する被害を受けた。

地震から一夜明けて住民が流れ込んだ泥やごみなどをかき出していた港町1。津波は右の塀の高さに迫るほどだったという(2日午前9時20分ごろ)
小型漁船が横倒しになり、網や籠が散乱した大潟漁港の様子(2日午前7時ごろ、提供写真)