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先人の偉業忘れずに 高田城址公園内 国友末蔵の胸像など修繕 高田RC

塗装や修繕を施しきれいになった国友末蔵の胸像(左)と発電所の水車(右)。中央左から高田ロータリークラブの山田守会長、笹川裕社会奉仕委員長、吉田巧幹事

 高田ロータリークラブ(山田守会長)は、高田城址公園に設置されている、同クラブOBで上越に電気を通し地域の発展に貢献した国友末蔵(1881~1960年)の胸像や、使用されていた発電所の水車などを修繕し、塗装を施した。

 胸像と水車は、上越大通りの大手町交差点に隣接する高田城址公園第8駐車場(旧高田図書館敷地)に設置されている。胸像は1957(昭和32)年、水車などは66(昭和41)年に設置。一角は頌徳(しょうとく)園として整備されている。水車は糸魚川市大所川発電所のペルトン水車と妙高市鳥坂発電所のフランシス水車で、実際に使われていた物。

 同クラブではそれらが傷んだり、紹介銘板の字がくすんだりしているのを見て修繕を考えた。社会奉仕活動(笹川裕社会奉仕委員長)として、8月下旬から9月初旬にかけて業者により施工された。工事費はクラブの会費を充てた。

 25日に報道陣に公開され、東北電力OBという山田会長(74、トクサス顧問)は「(国友末蔵は)高田に電気を通し、地域の発展に貢献された多大な功績があり、第1号の高田名誉市民となった偉大な方。先人の偉業を忘れないようにしたい。公園を利用する時などに見てほしい」と話している。

 国友は京都大電気工学科を卒業後、上越電気の技師長に就き、1907(明治40)年に高田町に蔵々発電所を建設、送電した。上越地域などに次々と発電所建設を進め、企業進出を促し、地域の発展に功績を残した。34(昭和9)年に国内初の揚水式発電所を長野県信濃町に造り、融雪期揚水、渇水期発電という発電サイクルを生み出した。53(昭和28)年に高田市最初の名誉市民の称号を贈られている。