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新堀川の歴史を知る 大潟地区公民館講座 22日には現地学習

潟川や新堀川の歴史などを説明する小山会長(中央奥)
新堀川河口に設置されている暗渠排砂揚水機場

 郷土を流れる新堀川の歴史や成果を学ぶ大潟地区公民館主催の座学「新堀川を探る『潜函暗渠(せんかんあんきょ)と日中堰(にっちゅうせき)』」が8日、大潟コミュニティプラザで開かれた。約20人が参加し、学んだ。22日に現地学習が予定されている。

 講師は「郷土史友の会おおがた」会長の小山將(ただし)さん(78、大潟区土底浜)。同会では昨年、一昨年に、新堀川開削事業の詳細記録である『天保6年掘割御普請中日記帳』解読本を計300冊出版している。

 現在の頸城区と大潟区の境界付近を通って八千浦地区の南部付近を流れる潟川を中心にした水田地帯は、「大瀁のやち」と呼ばれる湿地帯で、度々湛水被害に遭っていた。1757(宝暦7)年と1835(天保6)年の2度にわたって新堀川が大勢の人の手により開削された。

 ただ、川の勾配が緩く、海中の漂砂の堆積により河口閉塞を起こした。そこで昭和時代に入り、たまった砂を排砂ポンプで流し出す「潜函暗渠」の県営工事が30年間にわたり相次いで行われた。

 また、保倉川につながる潟川は地形的に低く、保倉川が増水すると流れ込んでしまうため、頸城区城ノ腰地内に逆流防止の止水堰「日中堰」が江戸時代から昭和50年代まであったという。

 座学と現地学習は地元の歴史を知ってほしいと企画された。「日中堰」の名称の由来を尋ねた大潟区の小山七緒子さん(28)は「初めて聞く名前でネットで調べても出てこない。身近な歴史を知りたいと思った」と参加の動機を話した。小山会長によると、「日中」は設置されていた場所の小字名だという。

新堀川河口に設置されている暗渠排砂揚水機場